国会に代表を送り込めない子どもたちの利害に直接係わる受験制度の改悪


 団藤重光も指摘したとおり,資本主義にあっては法形成上,経済的因子が強力に働く。
 とりわけ教育,そして学問において経済的因子を前面に出した「民間の参入」「規制緩和」を目指す立法は,およそ教育,学問の本質とはかけ離れることが多い。
 そして,受験制度は,ほぼ選挙権のない高校生たちの勉学,生活そのものに係わる重大な問題だ。また,高校生だけでなく,中学生,小学生の教育,生活にも深く影響を及ぼすことは言うまでもない。
 2020年から民営化される英語入試は,外部委託という形でTOEICや英検のような民間業者の試験の点数が入試で採用される。
 これは英語入試の改悪という批判以前に,受験生不在,つまり国会に代表を送り込めない子どもたちの利害に直接係わる問題だと,いったいどれだけの議員が気づいていたのだろうか。

201/08/31 (土)

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団藤 重光
「 国民大衆の政治的な力は、表現の自由を手段として、法形成力となる 」
☆ 民主主義法制のもとにおける法形成力としての政治的因子は、政党につきるものではない。 むしろ、政党の背後にあってそれを支えるものとしての、また、ばあいによっては政党の枠をはみ出るものとしての、国民の政治的な力そのものが、もっと根本的なものとして存在する。
国会に国民が真に代表されえない国民層があるばあいなどにおいて、それは現実の問題となって現れる

☆ 国民大衆の政治的な力は、表現の自由を手段として、法形成力となる。 日本国憲法のもとでは、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」が保障され(憲法二一条)、法形成的な政治的活動は、きわめて広汎に法によって承認される

☆ 世論は所与として存在するものではなくて、国民によって主体的に形成されるものであり、その形成にあたって表現の自由の果たす役割りは極めて重要である

☆ 世論は提供される情報のいかんによって左右され、その意味で政府による統制・操縦が可能だから、政府は世論を かくれみのに利用することさえもありうることを見逃してはならない。国民の側からいえば、それは「知る権利」、情報の公開の問題として重要性を帯びて来るのである。表現の自由をどこまでひろくみとめるかは、法形成に国民大衆の意思をどこまで反映させるかを意味し、その程度いかんは法の生命力に関係して来る


団藤 重光『 法学の基礎 』
第1編 法 
第3章 法の動態
第1節 総説
第二 法の形成と実現 ―― 法を動かす力
p.155 ~ 162 五 政治的因子 
 p.156 2行目 ~ p.156 2行目 10行目

 ただ、わが国についてみると、従来の「五五年体制」のもとでは、よかれあしかれ保革の対立の構図が明確で国民の選択も可能であったが、政治がかねや利害で動くようになってからは、民衆の既成政党離れがおこってきたのも当然であった。 しかも政界再編そのものが思想・哲学・理念・政策ではなく、政治家たちの利害打算によるようになっては、政党不信・政治不信が強まり、選挙も政治家たちの政治的見識よりは単なる民衆的人気によるようになって来た気味がある。 こうしたことが政党を軸にした議会制民主主義そのものの危機を意味するか、民主主義の新段階への胎動を意味するかは、なお慎重に見守る必要があるであろう。
 いずれにせよ、民主主義法制のもとにおける法形成力としての政治的因子は、政党につきるものではない。 むしろ、政党の背後にあってそれを支えるものとしての、また、ばあいによっては政党の枠をはみ出るものとしての、国民の政治的な力そのものが、もっと根本的なものとして存在するのはいうまでもない。 ことに選挙制度のいかん ―― たとえば選挙区についてのゲリマンダリング( gerrymandering )―― によって国会に国民が真に代表されえない国民層があるばあいなどにおいて、それは現実の問題となって現れる。 選挙区の区割りの問題も、一面では選挙地盤の関係で政治家たちの直接の利害に関するが、本質的には適正な民意の反映の問題として、国民の政治的な基本的人権に関するのである。 周知のとおり、「一票の価値」の問題が何回となく訴訟となって最高裁判所まで行って争われたのは、事柄の重要性を物語る。
 国民大衆の政治的な力は、表現の自由を手段として、法形成力となる。 日本国憲法のもとでは、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」が保障され(憲法二一条)、法形成的な政治的活動は、きわめて広汎に法によって承認される。 イギリスの憲法学者ダイシー( Albert Venn Dicey , 1835-1922 )はとくに世論の法形成力を重視したが、世論は所与として存在するものではなくて、国民によって主体的に形成されるものであり、その形成にあたって表現の自由の果たす役割りは極めて重要である。 ウォルター・リップマン( Walter Lippmann , 1889-1974 )の指摘するとおり、世論は提供される情報のいかんによって左右され、その意味で政府による統制・操縦が可能だから、政府は世論を かくれみのに利用することさえもありうることを見逃してはならない。 国民の側からいえば、それは「知る権利」、情報の公開の問題として重要性を帯びて来るのである。 表現の自由をどこまでひろくみとめるかは、法形成に国民大衆の意思をどこまで反映させるかを意味し、その程度いかんは法の生命力に関係して来る。 法は国民大衆の中に根をおろしていればいるほど、尽きぬ生命力をそこから汲み上げることができるし、国民大衆から絶縁された法は根を切られた樹木のように生命力が枯渇する。 歴史法学派が法における民衆的要素を強調するのは、このような趣旨に理解されるかぎりにおいて、現代的意味をもつものといわなければならない。 表現の自由を軽視する全体主義の法の脆弱性は、すでに折に触れて述べたところである。

団藤 重光『 法学の基礎 』
1998年6月30日 初版第6刷(再増補)
有斐閣

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