今回の天皇代替わりでは,安易に「時代を変える」ことはできはしない

バラの季節
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 長い休みが終わったら,もう 「令和,令和」と騒がないのかとおもっていたら,在京大メディアは反省もなくまだ言っている。
 今回の天皇代替わりでは,そんなに勝手に また安易に 「時代を変える」ことはできはしない。

 マルセル・ゴーシェは「君主になれない私たち、そこに平等がある」と 言う。
(※1)

「 確かに君主は不平等な存在です。 市民がなろうと思ってもなれませんからね。 ただ、不平等な君主が存在することで、市民は自分たちが 『君主になれない』 点で平等だと悟る。 不平等な君主が市民の平等意識を保障する。 だから、欧州では北欧をはじめとする立憲君主制の国ほど市民が平等なのです。」

 このマルセル・ゴーシュの言葉は,日本が旧憲法下で天皇の命令により民衆を戦争に駆り出すために使われた 「神聖二シテ侵スへカラス」 というプロパガンダと親和性があり過ぎる。 そして,西欧の王家とアジア的な王家の差異についての言及はない。
 いや,正直言うと,やや胡散臭いとさえ感じている。


 私が感じた違和は,ひさしぶりに 吉本隆明 『柳田国男論集成』
(※2)を私に読み返させた。
 「旧憲法の絶対的な天皇から新憲法の相対的な天皇へ、いいかえれば神聖で侵すべからずの天皇から、人間天皇へ」 という2つの憲法を,「青春の前期と後期と両方にまたがって体験し」 「考えを転換させる」 ことになった吉本隆明は言う。


戦争中に流行した考え方に天皇を頭にいただいて、その下にじかに平等な農耕の共同体をつくるのが理想の社会なんだ、という考え方がありました

 そして吉本隆明は 「天皇の制度的な起源とそれ以前がどうつながっていたのか」 に関心をもち 「柳田国男の問題と接触していく」。

旧憲法の 「天皇ハ神聖二シテ侵スへカラス」 という考えをどんなふうに脱却していったらよいのか、そして新憲法の天皇は 「国民統合の象徴」 ということと交叉するところを どこでみつけていったらよいのか、敗戦後の気持のうえでたいへん苦労しました。 (p.244)

 戦争中に流行した考え方に、天皇を頭にいただいて、その下にじかに平等な農耕の共同体をつくるのが理想の社会なんだ、という考え方がありました。 僕らもたいへんおおきな影響をうけたものです。 それで、天皇制を相対化する方法をつくりあげるには農業をやっていた者以外の人たちはどうなったんだろうかという問題を掘り起こせばいいんじゃないか。 そうすれば、農民と天皇が上下につながっているという考え方はこわせるんじゃないか、とかんがえられたわけです。 柳田国男の民俗学への関心は山の人たち、つまり農耕をやっている者でない人たちにたいする関心からはじまったものです。 またある意味ではそれに終始したといえるものです。
(p.246 ~ 247)

『 柳田国男論集成 』
p.244 ~ 274
わが歴史論
柳田思想と日本人

一九八七年七月五日 我孫子市市民会館「吉本隆明講演会」主催・我孫子市史編纂室)の速記原稿に全面的に手をいれ、はじめて本書に収録された。
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(※1)
The Asahi Shimbun GLOBE+
https://globe.asahi.com/article/12040059
2019.01.06
君主になれない私たち、そこに平等がある マルセル・ゴーシェに聞く 「君主制の役割」


(※2)
吉本 隆明 『 柳田国男論集成 』
1990年11月1日
JICC出版局

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