3本目の矢は,エア・アロウだったみたいで,高い本は買えないという愚痴

 すっかり「お代官様」を地で行ってる マスゾエ某候補...とか,都知事選は,また消去法で投票するしかないのかなあと気が重いし,「レキシ認識」がどうしたと喧しい昨今だ。
 ヤスクニ参拝する首相なんて,エア・ギターとか演奏してる奴より,ずうっとアホだしねえ。 ケーザイ言っても,どうやら,3本目の矢はエア・アロウだったみたいだしねえ。

 落語も漫才も,陰が翳むほど,政府・与党と与党の腰巾着たちが,あんまりオッカッシイことばっかしているのを見ることができる時代だ。

 ところで,日本という元号が使われるようになったのは,だいたい7世紀頃で,それよりほぼ100年も前にパヴィアの牢獄でボエティウスが著した『哲学の慰め』

 今やカウチでポテチ食べながら,これを読んでいられる。いくぶん観念的 ,という謗りもあるかなあ......休息も必要。
 
 ボエティウス 『 哲学の慰め 』 畠中 尚志 訳
 2001年 2月 22日第17刷
(第1刷は1938年11月20日)
買ったとき 定価(本体 660円+税 33円) 693円


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第二部 五
p.63後ろから4行目 ~ p.64 6行目


 そもそも富が貴いのはお前の主観に於てか、それとも富自身の本性に於てか。又富に於ける何が――黄金自体と、集積された貨幣の力との何れが――より多く力を持つのか。だが若し、貪欲が常に人を不評判にし、物惜しみなさが人に令名を与えるとすれば、富は蓄へられることに依ってよりも、消費されることに依って、より多く輝く。そして又、他人へ渡される物は自分の許に止まり得ないとすれば、金は物惜しみなき使用に依って他人に移される時、従って自分はそれを所有しなくなる時に貴いのである。だが又、世界中至る所の金がある一人の許に集まると、他の人々はそれに欠乏することになる。聲は同時に多くの人々の耳にそのままそつくり入るのに、お前たちの富は、減らされてでなくては多くの人々に渡り得ず、しかもその場合、一方、それを与える人々は必然的に貧しくならざるを得ないのだ。おお、多くの人々から充分に所有されも得ず、又他の人々を貧困にせずには如何なる人にも集り得ない富は何とあはれな乏しいものではないか。

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 漢字はほぼすべて旧字体だが,新字体に変更して引用。宗教でもなく,権威でもなく,ひたすら哲学であることが,近現代西欧に脈々と流れているものの一つかもしれないと,ふとおもう。

◇ 参考

ボエティウス Ancius Manlius Severinus Boethius
イタリア 480年頃― 525年頃
ギリシア・ローマ哲学の最後の人

畠中 尚志
1899(明治 32)―1980(昭和 55)年
哲学者・翻訳家
『 哲学の慰め 』  翻訳は1938(昭和13)年。
パトラッシュと言えば,ウィーダ『フランダースの犬』。アニメにもなったから日本ではお馴染みのこの本も,1957年岩波少年文庫版として翻訳。

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