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zoom RSS AV女優やキャバクラは,いかがわしいのだろうか? あるいは人間性と自由との問題

<<   作成日時 : 2018/04/25 22:27   >>

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プラハの春 「二千語宣言」 より
「 真実は 勝利するのではない。
 真実はただ 他のものがすべて 消耗してしまった時に あとに残るのである! 」


1) 言論統制もどきをした文科省トップが,このザマか

 「安倍首相夫妻=森友学園事件」 「安倍首相=加計学園事件」 それぞれ証拠も出そろっているのに,週刊誌が林芳正文科相の行っていた「ヨガ・スタジオ」がどうした という記事を出している。
 安倍首相本人と,昭江夫人に対する世間の怒りを薄めたいかの「煽情的な」話題を提供しているようにしか思えないけれど,問題は「ヨガ・スタジオ」がどんなところだったかでは,まったくない。

 2月には,前川喜平氏の講義内容を名古屋市教育委員会に 「問い合わせ」というが,実態は言論統制もどきをした文科省のトップが,林芳正文科相その人だという重大な問題点が,まずある。

 そして,林文科相が,日中に,それも2時間も,公用車を使って,たんなる私事のために出かけていた。
 いや,はっきり言って,閣僚としての責任をネグレクトしていたようにしか見えない。

2) 日中,閣僚という責任重大な立場にあるのに息抜きができるのか!

 林文科相が,サボってるようにしか見えないのも問題なんだ。
 閣僚たるもの,具合が思わしくなくてまれに通院したくらいなら,まあまあ仕方ないこともあるかもしれないが,健康づくりのために「ヨガ・スタジオ」に複数回行っていたなんて,テキトーな気持ちで息抜きしたかっただけなんだろ。
 ふーん! 体が丈夫だったら私だって政治家になったのになと,ちょっと思ったね。で,思い出すのは,舛添・前都知事はリフレッシュのために公用車で別荘に通っていて,辞めさせられたことだよね。

3) 労働者の完全奴隷化! 残業代なし「働き方改革」法案

 安倍・自公政権は,これで「高度プロフェッショナル」とか ほざいて,労働者を企業の奴隷化する残業代なしの「働き方改革」法案を,野党抜きで審議なしで,通そうとしている。 「高収入」ならタダで残業させ放題で,それを「働き方改革」法案だとぬかす。

 ふつうの社員,いやむしろ非正規労働者ほど,過酷な労働環境にあるのは,見てのとおりだ。
 たとえば,夜10時までしか開いていない,使えないと,教授や研究者から不満タラタラの大学図書館。
 正規職員に残業代を払いたくないので,17時に退社させる。 そのあと22時まで責任を負わされて働かされているのは時給1000円に満たない非正規なんだよね。
 それでも足りなくて,残業代なしの,時間制限なしの労働を法律で決めるなど,正気の沙汰とは思えない。

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3) AV女優やキャバクラは,いかがわしいのだろうか?

 ところで,「ヨガ・スタジオ」の話題では,さっそく,そこはAVとは無関係とか,職業差別にあたるとか,いろいろ話が広がっている。

 AV女優は,いかがわしいのだろうか? あるいは遊興施設であるキャバクラは,いかがわしいのだろうか? 出会い系バーは,いかがわしいのだろうか?
 私はそうは思わない。
 俳優が強要されてAV出演させられたというような場合であれば,法的にはもちろん,倫理上もアウトだが,大衆芸能の1分野として成立している映像作品に出演することが,いかがわしい職業とされることは,違うんじゃないのか。
 「風紀上好ましくない」という,いわば曖昧な概念で,職業差別をすることが,むしろおかしい。

 学生時代にキャバクラでアルバイトをしていた人がいったんはアナウンサー内定を取り消されたという騒動が 2014年にあった。 その後,希望した日テレに入社され大活躍中ということだが,21世紀になっても世間ではあいかわらず〈人間性〉について何かしらの〈禁忌〉を多かれ少なかれ滑り込ませては,異見を挟む余地を狭め続けている。

4) 人間性と自由との問題

 「援助交際」とか,出会い系サイトでの恋愛にしても,過去数千年の歴史になかった技術のおかげで恋愛の時間と空間が短縮される形になっていることが,理解できなかったりする世代や,地域性もあるだろう。 でも,一概にそれらが不純であるとは考えにくい。 自由な意思での恋愛が成立することは多くあると,私は想像する。

 問題は,ソフトなネーミングに隠れて公然と売買春をさせていたり,行われていることであって,より深刻なのは,貧困からそうした性産業を選択せざるを得ない社会が認容されていることだ。

 人間性と自由との問題は,さまざまな角度から論じられてきている。三島由紀夫の『文化防衛論』 は,私は決して首肯できない論考なのだけれど,ちょっと面白い文章ではあるので,以下に一部抜粋してみる。


画像
  
三島 由紀夫
『 文化防衛論 』

新潮社 1969年4月25日 初版

第一部 論  文

p.89 〜 105
自 由 と 権 力 の 状 況

p.97 後ろから3行目 〜 p.99 9行目
人 間 性 と 自 由
 そもそも人間性の無制限な解放とは、おのずから破壊を内包し、政治秩序の完全な解体を目睹し、そこには究極的なアナーキズムしか存在せしめないのは論理的必然である。 人間性について最も深い探求をフランス革命の時代に成し遂げたのは、ヴォルテールよりもマルキ・ド・サドであった。 サドは人間性の否定的な側面をよく知っていたから、ちょうどインドのヒンズー教徒たちが破壊神を崇拝するように、破壊の神々の心を宥めたのであった。 革命衝動が、何ら破壊すべき対象の価値を考慮しない無差別の破壊に酔う一時期を持つことは、人間性の当然の帰結であるということをサドはよく洞察していた。 ここに言論の自由ないし表現の自由と、あらゆる形の政治秩序との矛盾がひそんでいる。 現下の世界で考えられる言論の自由を最大限に保障する政治体制としては、悲しいかな、ただ一個、「 複数政党制の代議制議会制民主主義をとるところの民主主義 」 があるばかりである。 世上、一党独裁と民主主義とが、理念的に最終的には矛盾しないと主張する人たちがいるが、民主主義自体を極度に理想主義に高めたこのような考え方は、そもそも民主主義の発生の相対主義的を言っているのである。 本当のところ、人間性と政治秩序の間の妥協こそが民主主義の本質なのである。 しかも、民主主義は、他のあらゆる政治体制と同様、人間性の味方ではなくて、人間性に対応する政治悪の最小限な必要悪としての表現なのである。 何故ならば、人間性の見地に立った時、あらゆる政治体制は悪でならなければならないことは、なにもアナーキズムの主張を俟つまでもない。 また政治体制の見地から見た時は、人間性の抑圧は当然であって、人間性の無制限な解放は必ず政治体制の破壊と秩序の破壊に帰することは自明である。 仮に、言論の自由、表現の自由をエロティシズムの領域に限ってみても、私はかねがねエロティシズムの問題と宗教の問題を最も賢明に解決したのは、カトリックであると思っている。 カトリックの考える人間の性の観念は、あたかも薄い盆の上に水を湛えて人に持って歩かせるようなものである。 ちょっと手が揺れれば、水は盆から零れてしまう。 そしてそのごく薄い盆の上に湛えられた水こそは、正常な夫婦間における、生殖を目的とする、正常位による性行為なのである。 人間がどうしてこれに限局されようか。 しかもカトリックが盆から零れた水を懺悔によって救い上げ、水を零してかえりみぬ人たちを異端として糺問したことは、共産主義の 「自己批判」 と 「粛清」 に正確に照応している。 もしその許容範囲を少しでも広げれば、人間性のエロティシズムは、その自然から得た力によってついには快楽殺人(ルストモルト)にまで及んでゆくものだからである。 フリー・セックスの行く手に、もし快楽殺人(ルストモルト)が許されるならば、この瞬間に国家体制は破壊されるであろう。 と同時に、このような政治における快楽殺人(ルストモルト)は、アナーキズムの誘惑と常に踵を接している。 政治上のアナーキズムとは、エロティシズム上のルストモルトと相接近した観念であって、地上に実現されず サドのように牢獄の中における幻想裡でしか実現されぬ理想的観念なのである。
( 昭和四十三年 十月 )

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