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zoom RSS 安定すべきは私たちの暮らしだ。自公政権を安定させても始まらない!

<<   作成日時 : 2017/10/23 05:18   >>

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人情とはかくあるもので、己が手中にある物は、その恩恵を受けながら、人、これさのみ珍重せず、一たび手を離れ、これを失うに至って、始めてその値に心附く。
シェイクスピア 『 空騒ぎ 』 福田 恒存 訳


§ 10月22日(日)台風
0) 実に愉快な 暗い空じゃないか

 朝から降る雨が,だんだん強くなる。
 雨よ降れ,風よ吹け,実に愉快な暗い空じゃないか。
 今回ばかりは,政権交代しないことを はじめから分かって投票所に出かけるのに,実に似つかわしい。

 「安倍総理はダメだが,政権は自民党で安定しているのがいい」
 意味が分からん。 ふざけるな。
 安定しているのがいいのは,あなたや,あなたたちや,私たちや,私の暮らし自体じゃね?
 自公政権を安定させても始まらないんだよ!

2) あれだけ有権者を愚弄し続けた安倍・自公政権が,まだ続く
 安倍・自公政権が続くと,たとえば震災,原発事故,水害などで被災して,故郷に帰れなかったり,いまだに仮設住宅で暮らすしかなかったり,あるいは家族の介護に支援の手が届かなかったりする大勢の人びとの状況は,どうなるのか。
 ほとんど良くなるはずがない。

 声をおしころして地を這いつくばる努力をしている人たちが目に入っていない小泉進次郎が,あちこちの選挙特番で映し出される。

 解説者達は,今後の野党再々編に,探りを入れる。
 今さら何を期待しているのか?
 誰か1人でもいるのか? どんな「謀略的手法」を使ってでも,実は政権交代が必要だと言っていた奴が?
 いなかっただろ。

 政党の離合集散にしても,その合意形成手続きの透明性は,それほど大きなファクターなのか。
 小沢一郎的なものを排除する知識層に,私は辟易とする。


◇ 参 考
https://twitter.com/kazuhirosoda?lang=ja
想田和弘
これ、もし本当なのだとしたら、私たちは改めて小沢一郎・前原誠司・小池百合子的な謀略的政治手法をはっきりと否定し、決別しなければならない。 こういう手法の何が決定的にダメかといえば、合意形成の手続きや透明性が欠如していることだ。


 上記,総田和弘氏の 「 これ、」 は,田中隆作ジャーナルの以下の記事を指す。

田中隆作ジャーナル
http://tanakaryusaku.jp/2017/10/00016823
前原代表の「想定外」だった 野党大合併、頓挫の理由を明かす
2017年10月20日 12:17


3) 近未来の憂鬱 = メタ・データを独占する権力がすべての情報を操作する?
 21日(土)夜のNHKテレビ 『 衆院選特集「党首奮戦〜密着 12日間』 では,圧倒的に安倍総理ヨイショの “選挙運動” を展開していた。
 いくら街頭に集まっても,SNSで盛り上がっても,100万人単位の “票集め” は,公共放送が独占中だ。

 いずれ情報の入手先がぜんぶインターネットになっても,やはり政治に興味を持たない 「イデオロギー的に啓蒙されていないごくふつうの大衆」 つまり数千万の人びとの「沈黙の支持
(※) をSNSで集約できるだろうか。
 ましてやツイッターのフォロワー数には意味があっても,短時間で費消される短文をメタ・データとして独占し,思うままに利用する権力が,すべての情報を操作することになる可能性のほうが大きくはないのか。


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(※)
吉本 隆明 『 情況 』
河出書房新社 昭和四十五年十一月二十日 初版
芸能の論理 p.204〜223
p.212 9行目〜p.213 11行目

 資本制社会における政治的、あるいは思想的な課題は、もともと如何におおくの大衆の支持を獲得するかというところにはまったく存在しない。 資本制社会における文化の課題が、いかにおおくの大衆を吸引するかということにはまったく存在しないのとおなじように。 資本制社会では、政治の本質的な課題は、いつも少数者によって担われ、少数派しか獲得できないという逆説的なあらわれかたをする。 これは、資本制社会における芸術・文化の本質が少数者によって創造され、少数者に手渡される宿命をもっているのと同種である。 はじめから多数派に支持され、多数者に流布されることを目的とした政治運動や文化芸術などは、まったく消耗品として以外には無意味なものである。 なぜならば、すくなくともこの意味からは、いつも多数の大衆に支持された政治とか、多数の大衆にアピールする文化芸術は、かならず 〈行動〉 あるいは、〈行動者〉、また 〈創造〉 あるいは 〈創造者〉 にたいする大衆の 〈安堵〉 感を前提としているからである。 いいかえれば、大衆はこの種の政治、または芸術のつくり手を、どこかで馬鹿にしながらしか支持しない。 それは、こういう発想をもつ政治運動者や創造者が、どこかで大衆を馬鹿にしていることとちょうど見合っている。 そしてこの行動者や創造者と、それを支持する大衆のあいだの無意識の相互侮蔑は、もともと体制の支配者が見掛け上その秩序内にあるすべての存在にたいして抱いている無意識な侮蔑や、安堵の代理物であるといっていい。 わたし〈たち〉は、もう十年以上もまえに、大衆芸術を止揚してアバンガルド芸術へ、などと称する連中と激烈なたたかいを演じながら、文化・芸術の在り方の問題をあきらかにしてきた。 このことから当然に推知できることは、多数の大衆の組織的な立ち上りがなければ、〈 革命 (政治革命) 〉 はおこらないという発想が、まったく、虚偽にしかすぎないということである。 これは、もともとはつぎのようにいわれるべきである。 すなわち、すくなくとも、多数派の大衆 (つまりイデオロギー的に啓蒙されていないごくふつうの大衆) の騒撩や、沈黙の支持なしには、それはおこりえないというように。

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