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zoom RSS 石川健治 (1/2)「勅語だから勅語だ」という思考停止と反知性主義

<<   作成日時 : 2017/07/11 14:58   >>

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https://www.youtube.com/watch?v=QWAwCiO3z24
02:03:04
20170628 UPLAN
島薗進・石川健治・西谷修 「 教育勅語 ― なにが問題か : 天皇・軍隊・人間」
三輪祐児


以下のメモと資料は,上記動画の 50:00 〜 01:11:25 くらいの部分。
島薗進教授「教育勅語の存続問題と国家神道」3.知的指導者らの教育勅語観 を受けての石川健治教授の憲法の観点からのレクチャー。


立憲デモクラシー 連続講座 第U期 第7回
2017年06月28日(水)
「教育勅語 ― なにが問題か:天皇・軍隊・人間」

石川 健治


・ どういう形で「教育勅語」を公表すべきか,そうとうな議論があった
・ 「教育勅語」本体についての資料
「 官報 第2203号 」明治23年10月31日
御名御璽。 文部大臣であれ内閣総理大臣であれ,サインは一切付いていない = 天皇個人の私的な著作であるという形して出そうという意図があった

◎ 「教育勅語」が出るまで

最初は,法務省が中村正直に発注
中村正直
Samuel Smiles サミュエル・スマイルズ “ Self Help ” の 翻訳 「天は自ら助くるものを助く」。
「天」がたくさん出てくる文章を書いた

井上毅(いのうえ こわし)
当時の最優秀の厚生官僚
中村案を全部書き直し元田永孚(もとだ ながざね)とのやりとりもあり,その書簡も残っているが,基本的に井上案で形になった 〜 「教育勅語」は井上毅の文章であったと言える

この人の理解になお苦しんでいるところ ―― 井上は欧州にも留学をした非常にウェスタンな知識人だが,他方,明治憲法起草の直前くらいから 「国体」論の研究に没頭し始めた

明治憲法 〜 名宛人が違う3つが初めについている
「告文(こうもん)」〜祝詞(のりと)のようなもの
「憲法発布勅語」
「上諭」〜 前文に相当する
「大日本帝国憲法」 第1条〜第76条

・ 「大日本帝国憲法」 明治23年11月29日 第1回帝国議会開院式とともに施行。( 「上諭」)
「教育勅語」 明治23年10月30日

・ 井上毅は批判の出ない文章を書こうとした。 各宗教方面からケチが付けられない最大公約数の文章。 内容的にも哲学者から批判が及ばないように無難なところで書いてある。 翻訳を読んだ外国人が「わりと普通のことが書いてある」という感想を持つのは当然で,尖った文章を書かないように努めて書いてある

「常に国権を重んじ国法に従い」=憲法を重んじ国法に従い=立憲主義と法治主義を盛り込んである

国権 = 憲法
国法 ― 立憲主義と法治主義


憲法を重んじ立憲主義と法治主義を盛り込んであるが,全体としては 「天壌無窮の神勅」 につなげていく

・ constitution
箕作麟祥(みつくり りんしょう)の訳 「憲法」
井上毅 「建国法」, 加藤弘之 「国権」

・ 井上毅はほんとうはウェスタンな人で,それがヨーロッパ的なものへの反作用として日本に精神が向かったのか?

樋口陽一先生に学生時代よく言われた西欧を勉強する場合の2つのパターン
1. 西欧を客体化し距離を置いて醒めた目で見る 〜 加藤周一
2. 愚直に西欧に沈潜してやっていく 〜 森有正

■ 論争的なテーマ 「井上毅は,どちらのタイプか? 」
・ 石川教授 「 立憲主義者に見える 」
・ 島薗教授 「所詮は,国体論者だ 」



◎ 「教育勅語」 がどう読まれたか。 祭政一致を目指した当初のあり方と,1935年以降の日本とをつないだのが 「軍人勅諭」 と 「教育勅語」

上杉愼吉
東京大学・憲法学の正統。
ドイツ留学した,もともとは非常にウェスタンな知識人。
明治憲法の種本を作ったGeorg Jellinek ゲオルク・イェリネック宅に下宿し勉強。
「日本の学問には哲学がない。 自分が作ってやる」 と山籠りし無茶な勉強をして精神に変調を来す。 イェリネックは心配し転地療法を勧めるが,上杉は勝手にドイツに帰ってしまう。
帰国したら,国体論者になっていた。東京大学の憲法学の正統を担う

美濃部達吉
東京大学では憲法学でなかった。 比較法制史。 一橋大学で憲法,行政法。
大正デモクラシーの時期に,ようやく東京大学の憲法第二講座の先生となったときには48歳くらいになっていた

上杉愼吉の「教育勅語」観
「教育ニに関スル勅語ハ,日本人ノ倫理的活動ノ基礎綱領タリ。何カ故ニ然リカ。曰ク 勅語ナレバナリ。」

勅語だから大事だ。天皇のお言葉だから大事なんだ。それ以外の理由はない。= 思考停止と反知性主義
   ↓
戦後「教育勅語」を排除しなければならない直截の理由付けになるのではないか

美濃部達吉 発禁になった『 憲法講話 』
「教育勅語」が支配しようとしていた初等,中等教育の領域にタッチする。 文部省に頼まれて中学校の先生の講習会 (上杉はシマを荒らされたと思った)。
講習会の講義は,後に『 憲法講話 』 となる。発禁となる本の1つ
憲法学の観点から「国体」は議論できない,合理的な議論はできないとして,教科書から「国体」の項目を削除した。
憲法学が議論できるのは「政体」だけである という知性主義的な議論。
   ↓
1935年にパージされる。 「天皇機関説事件」

・ 美濃部は,合理的な議論ができないと,「教育勅語」的なものをスルーしてしまう

祭政一致を目指した当初のあり方と,1935年以降の日本とをつないだのが 「軍人勅諭」と 「教育勅語」だった

◎ 憲法学者にとっての関心事の1つとなった「 国民道徳論 」

知識人の一種の流行論点
臣民ではなく国民。理念的な存在としての国民を想定し,道徳を語る。

井上哲次郎 東京大学・哲学
「教育勅語」を国民道徳という形で解釈しようとした。 欧州留学した人だが,非常に日本的な議論をしようとした。

藤井健治郎 京都大学 倫理学

美濃部達吉
「国民道徳論」をまったく相手にしなかった

上杉愼吉
逆の意味で「国民道徳論」をまったく相手にしなかった。
「皇道をラショナライズ〔 rationalize 合理化する 〕せんと試みるならば,その基礎においてすでに之を入れるべからず」 = 皇道を合理的に語ってはいけない。 けっこう良いことを書いてあるからと,儒教,仏教,あるいは西洋倫理学に引きつけて解釈しようという議論は,まったく意味をなさない。

「近時,不遜の言を為す者多し」 = とにかく勅語だから勅語なんだ

佐々木惣一
「国民道徳論」を真面目にうけた。
立憲主義を「 国民道徳論 に着地させようと努力した。

『 立憲非立憲 』 佐々木惣一 解説 石川健治

和辻哲郎
井上の指導を受けていた。 「国民道徳論」を ラショナライズして捉え,説明しようとした。
戦時中には尊王思想を書き,臣民の道を語るが,戦中終盤には,これでも合理的過ぎると,批判の対象となる。
戦後公職追放ならずに済んだが,現在でも毀誉褒貶相半ばする歩みがある

尾高朝雄 ノモス主権論
ひとつ間違うと時流に迎合してしまう危険のあるデリケートな,かなり際どい路線。
尾高が天皇に託したノモスとは,いったい何であったのか。

戦後,第3の路線 を目指す= 保守主義でも社会主義でもなく,資本主義でもなく共産主義でもない = 協同主義,協同組合主義を掲げる「国民協同党」の流れ。現在は自民党に入っているが,中身を見ると保守的な議論をしようとしていたとは言えない。
やや危険な方向に引っ張られかねない部分も含む。 危ないけれど,重要な道もあるのではないか

連続講座 第U期 第6回
2017年 4月28日(金)
石川 健治 「 天皇と主権 信仰と規範のあいだ 」

< 続く >

  ****   ****   **** 

資 料
「 官報 第二二〇三號 」明治二十三年十月三十日


画像


上 諭
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ萬世一系ノ帝位ヲ踐ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ惠撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ發達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼贊ニ依リ與ニ倶ニ國家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履踐シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
朕ハ我カ臣民ノ權利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範圍内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス
帝國議會ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議會開會ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ
將來若此ノ憲法ノ或ル條章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ繼統ノ子孫ハ發議ノ權ヲ執リ之ヲ議會ニ付シ議會ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ
朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ爲ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及將來ノ臣民ハ此ノ憲法ニ對シ永遠ニ從順ノ義務ヲ負フヘシ

◇ 「上諭」,これだいたいのところを今風にリライトしてみる。 by レイナ

神である天皇のお告げ
朕は,祖宗(先祖代々の天皇)の功績を継承しており,永遠に続く皇統の万世一系の帝位を継いでいるものである。 朕が親愛する臣民とは,すなわち朕の祖宗が恵み愛し,いつくしみ愛した臣民であることを常に心にとめて,臣民が健やかで幸いであることを増進し,その美徳と才能を発達させることを願う。 また,臣民の翼賛により,一体となって共に国家の進歩を助け支えることを望む。
そこで,明治14年10月12日の詔命(みことのり) を実践して,ここに大憲を制定して,朕がそれに従い基づいていることを表明することで,朕の子孫そしてまた臣民とその子孫が,永遠に大憲の命令に従い実行すべきことを知らせる。

国家を統治する大権は,朕がこれを祖宗から受け継いで,また子孫へと伝えていくものである。 朕そして朕の子孫は将来この憲法の各条文に従って政治を行うことに背いてはならない。

朕は我が臣民の権利および財産が平穏無事であることを きわめて大切にして守り庇い,この憲法および法律の範囲内において,それをありがたく授けることがすべてに及ぶと宣言する。
帝国議会を明治23年に召集して,議会開会の時を,この憲法が発効する期日とする。

将来もし,この憲法のある条文を改正する必要の判断があるとするときが来るならば,朕および朕の子孫は発議の実権を執行して,これを議会にあずけ,議会はこの憲法が定めている要件に基づいてこれを議決する。 このほか,朕の子孫の臣民は,決してこれに逆らって混乱させ変更しようなどということをしてはならない。

朕の朝廷に仕えている大臣は,朕のためにこの憲法を施行する任務がある。 朕の現在および将来の臣民は,この憲法を受け入れ,永遠に逆らわず正しく従う義務を負うものである。


立憲デモクラシーの会
http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/
市民として 憲法に従った民主政治を 回復するために
twitter
https://twitter.com/rikkendemocracy

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