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zoom RSS 死刑 DEATH PENALTY についての世論形成を怠り続ける多くのマスコミ

<<   作成日時 : 2016/10/08 00:37   >>

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1)死刑制度すなわち合法的「殺人」を許容されているのは国家権力
 豊洲の問題で小池都知事が「責任者は特定できず、内部告発を促す公益通報制度を導入して原因究明を続ける」と報じられたのは今月1日だったが,そもそも東京都に公益通報制度が導入されてはいなかったことにはあきれる。

 そして,あたかも安政6年(1859年)安政の大獄で橋本左内が26歳で斬首刑となったという10月7日,日弁連が福井市で開催した人権擁護大会で2020年までに死刑制度の廃止の宣言(「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」案)を採択したと報道される。

 死刑制度容認において,常にいわれるのが「被害者遺族の感情を考えろ」ということだ。
 しかしながら,死刑制度という「殺人」を合法的に許容されているのは,国家権力であり,「被害者遺族」ではない。
 では,「被害者遺族」は,「犯人」を国家権力によって「殺人」してもらうことで,ほんとうにその感情があがなわれるのだろうか。

2)推定無罪の原則なき冤罪
 死刑廃止をもとめるほぼ多くの意見は,冤罪があることからいわれる。そのとおりだと私も考える。
 そして,人権を制限できるのは人権だけである,と私は理解しているから,死刑制度は廃止して当然だと考える。
 また,近年「死刑にしてもらうために殺す相手は誰でもよかった」という殺人者がいることをみるならば,「犯人」に対してのペナルティとしては機能していないという現実を思う。

  麻生内閣での森 英介法相は,2008年に,久間 三千年(くま みちとし)さんを,死刑執行した。
 この飯塚事件は,大マスコミは未解決の冤罪事件として取りあげたがらない。
 マスコミはもちろんだが,日本の司法と法務大臣,死刑制度を容認している日本の弁護士たちは,推定無罪という刑事司法の大原則を血肉化できていない。
 ひたすら「秩序」維持のために「重罰」に頼ろうとする安易ともいえる気分に,正当性はない。

3)千葉景子・元法相の 2010年 刑場公開
 驚くことに,巷間ではあいかわらず日本での死刑が絞首刑によることさえ知られていないという。
 かつて鳩山内閣の千葉景子法務大臣は,5人の死刑を執行した。2010年に,千葉は,東京拘置所(東京都葛飾区小菅)の刑場を公開したが,その重大な決断を真っ向から国民的議論につなげようとする努力の欠片もなかったのが日本のマスコミの姿であった。「死刑廃止論者だったくせに」というような批判とさえいえない上っ面だけの騒ぎ方で,いわば歴史的な大臣の決断をやり過ごしただけだった。
 わずかに科学ジャーナリストの本田成親が,「命がけで政治を行ってください」という千葉法相の「内なる声」という深層を抉っていた。その一部を引用する。


本田成親 続 Mathematic 放浪記
http://www.nansei-shuppan.com/old/zoku-mathematic/zoku-mathema/zoku-mathematics_044.html
民主党代表選の陰で千葉法相は何を思う?

菅さん!、小沢さん!、この決断は私なりのやり方でのあなた方へのメッセージなんです、換言すれば、私の人生のすべてを懸けたあなた方への最後通告なのです。換言すれば、私の人生のすべてを懸けたあなた方への最後通告なのです。あとさきを考えないその場かぎりの無責任な言葉を吐いたり、法の網目をかいくぐって陰で実権を握り、それが当然のように開き直ったりするようなことはもうやめて欲しいんです。あなたがたは、もう保身にばかり走らず、私がやったように自ら泥をかぶり、非難の嵐に耐えながらも、将来の国益と国民生活安定のために決断力のある政治を行ってください。


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◇ 参 考
死刑廃止国と存置国
原文 Abolitionist and retentionist countries (最新の情報は原文をご参照ください。)
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/abolitions&retentions.html

AMNESTY INTERNATIONAL
https://www.amnesty.org/en/what-we-do/
https://www.amnesty.org/en/what-we-do/death-penalty/
DEATH PENALTY

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00005194-bengocom-soci
日弁連「死刑廃止宣言案」採択、組織として推進へ…会場では異論も噴出
弁護士ドットコム 10月7日(金)17時39分配信

https://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E6%B3%95%E5%8B%99%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E5%91%BD%E4%BB%A4%E6%95%B0
Template :法務大臣の死刑執行命令数


◇ 資料
コンサイス20世紀思想事典 第二版 p.506

樋口 陽一

人 権
[仏]droits de l’hom-me [英]human rights
人権という言葉の使われ方は多様である。
第一に人権の「権」利としての性格についての理解が、人によって違う。
人権を侵害する法律を裁判所が違憲無効として扱うことができる場合でなければ人権といえないとする立場と、それとは正反対に、実定法にとり入れられるかどうかにかかわりなく、思想としての正当性の主張であるところに本領があるとする立場がある。
第二に、人権が「人」権であることの意味についての理解の違いがある。human rights という言葉が連想させるように、ヒューマンな生き方を保障するものをひろく想定する立場からすると、人権は、少なくとも思想としては人間の歴史を貫いて追求されてきたと考えられる。
近代法がそれを実定化してきた局面でも、civil rights(自由権)―→ political rights(参政権)―→ social rights(社会権)というふうにその内容がひろがってきたと考える。
自由権と社会権につづく新しい権利類型(環境権、平和への権利など)と呼ぶ言葉づかいもある。
それに対し、近代社会が身分制から解放された人一般としての個人をつくり出したことによってはじめて人権主体が成立したのだと考える立場がある。
ザ・人権宣言ともいうべき1789年宣言(フランス)は、そのような人権観念を掲げ、そこでは、参政権は〈 人の権利 〉と区別して〈 市民の権利 〉とされた。
この語法からするとのちに問題となる労働基本権も、人一般の権利ではなく労働者の権利だという意味で、人権からは区別されることとなる。

狭義の人権という観念のもつ思想史上の意味は重要であり、現行実定法の理解にとっても少なくない関係をもつが、現在、多くの人びとは、ゆるい意味で、人権という言葉を使うのが普通である。

人権、とりわけ狭義の人権は、西欧文化圏の産物である。
社会主義の側、今日では第三世界 の側からは、しばしば、人権を掲げる西欧社会の実態への批判とともに、人権の普遍性を説くこと自体を西欧の〈 文化帝国主義 〉とする非難が出されてきた。
それに対しては、出自が西欧という特定の文化圏であることはそれが普遍性をもつことの妨げにはならないこと、人権こそ、それを生み出した文化そのものを内側から批判することを可能にしてきたのだということが、反論として主張される。

* 補足 p.600〜601 より
山崎 カヲル
第 三 世 界
 [仏] le tiers monde  [英] the Third World
1952年にフランスの人口学者 A.ソヴィが造語
東西間の冷戦構造第三身分 le tiers etat のアナロジーを意識し、冷戦体制を打ち破る力を新興「南」諸国に期待した

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