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zoom RSS 蓮舫議員が民進党代表? なら,旧民主党・野田とどこが違うのか

<<   作成日時 : 2016/09/05 16:15   >>

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§ 岩手県,北海道にお見舞い申しあげます
 台風10号の被害に遭われた岩手県,北海道の方々にお見舞い申しあげます。
 人口の少ない地域であることなどから救援,支援に時間がかかっていることには胸が痛みます。先の東日本大震災,福島第1原発事故からもまだ完全な復興ができたといえないときに,昨年は茨城県での豪雨災害,今年4月からの熊本地震,またふたたびの大災害に,自然の前で人知がいかに限定されたものであるかを思わずにはいられません。

§§ 蓮舫議員が民進党代表? なら,旧民主党・野田が再現されるかも
 民進党は自民党と本気で対決する気なんでしょうか。
代表選では,候補者3人とも「改憲の議論はするべき」だと報道されていますが,前原元外務大臣だけが「党内で」と限定していることには,ほとんど注目されていないようです。
 立憲主義についてそれほど深い理解があるとは思えない蓮舫議員の発言は,あの野田元総理のように「約束します。解散します」と同じように「自民・改憲案」を俎上に乗せてしまう危険があると私には聞こえましたが,それを支持する党員やサポーターはマトモなんでしょうか。

§§§ 大都市では大災害時に警察,消防,行政が機能するかは不明


「 支配者層が日本の下層民の力をどれ程おそれていたかが解ります。 それにも拘らず、大震災のときには警察力はマヒしてしまっていたのです。 神奈川県全部で巡査が一〇〇〇名行方不明になっていたありさまなのです。 避難民は集団となってあちこちに集まり、日比谷公園には五〇万、上野公園にも一〇万人が集まっていました。今も昔も支配者は人民の集団というものには大変な恐怖を感じるものです。」『 阿部謹也 最初の授業・最後の授業 』 

 1923(大正12)年9月1日午前11時58分。93年も前となる関東大震災のときの教訓も,いまだに生かされてはいません。熊本地震,茨城豪雨災害のときに ふたたびくり返された「外国人が空き巣をした。水道に毒を入れた」などのデマの発生に見てとれるとおりです。
 だからこそ,改憲で「緊急事態を憲法に書き込む」ことは,間違っているのです。
 防災技術も発達し,日常物資も情報も豊富になっている現代でも,あいかわらず東京または人口密集した大都市で大災害が起きたならば,行政の本来の機能さえマヒし,警察や消防も訓練通りに機能するかさえ,ほんとうは,わかりはしないはずです。
 そこでは,デマに乗じて権力者のどういう横暴でも許容せざるを得ない事態がおきることこそが,もっとも恐ろしいことであるのは,大きな想像力を働かせなくても自明なことです。
 「緊急事態の発令」とは,かつてドサクサ紛れで公布に及んだ戒厳令と同様になるはずです。被災者救援するはずの“軍隊”が人びとに向かって発砲する危険もはらんでいることに,なすべきは警鐘の乱打ではないでしょうか。

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§§§§ 日本人と米と朝鮮
 ご子息の阿部修人教授が前書きしている「大学ノートに万年筆でびっしりと書き込まれた手書き原稿」。それらを集め追悼集として出版された『 阿部謹也 最初の授業・最後の授業 』
 この本のなかに言及されている資料によれば,日本人は1914年から33年当時,1人当たり1日約3合(1合 ≒ 150 g)の米を食べていたという。本文中の単位を換算して表にする。


一人当り 米消費量(単位 1石は約180L ≒ 150KGに換算)
      朝鮮人  日本人
1914年 104 KG  147 KG
1920年  93 KG   167 KG
1922年  97.5 KG  165 KG
1923年   94 KG  173 KG
1925年  78 KG  169 KG
1927年  78 KG  164KG
1933年  62 KG  164KG

「日本人の九〇%がなんとか米を食べられるようになったのは、大正の米騒動以後のことです。 そしてそれはいうまでもなく朝鮮から米をどんどん収奪してきてはじめて可能になったことなのです。」
「日本資本主義の構造的矛盾を朝鮮人の犠牲によって補った」

『 阿部謹也 最初の授業・最後の授業 』 

現代史研究と朝鮮 p.139〜150 <未完のノート>

p.141 12行目 〜 p.142 2行目

 第二次大戦が終った直後に、自分達は軍部に騙されてきたというふうに考える大人が多かったのですが、それは自己欺瞞以外の何ものでもありませんし、同じくドイツ人でも、戦後ナチの残虐行為を指弾する人々も、ナチに対して歓呼の声をあげたときがあったのです。 自分達が育った日本とは一体どのような国だったのか、を問うことは無自覚に自分に影響し、自分のなかにあるものを決定的に規定していたもののみ方などを再び洗い直してみることになります。 現代史研究というのは決して専門の歴史家にまかせておいてよいものではなく、おのれの存在を自覚する程の人々、いいかえれば、自分は短い一生をどのように生きていったらよいのかを考え、決断してゆく程の人は誰でも例外なくやらなければならない作業なのです。

p.143 4行目途中 〜 p.144 7行目
私達は毎日米を食べています。 最近でこそ米を常食とする人はへっていますが、戦前は圧倒的に多数の人が米を三度食べていました。 江戸気質の職人が 米の飯とオテントウサマはどこにだってついて廻らあ、と たんかをきって モノに執着しない自分を誇って、これを称して気っぷのよい人間とされていたのですが、日本人の九〇%がなんとか米を食べられるようになったのは、大正の米騒動以後のことです。 そしてそれはいうまでもなく朝鮮から米をどんどん収奪してきて はじめて可能になったことなのです。 朝鮮研究所の調査によると、一九一四年に朝鮮人一人当りの米の消費量〇・六九四石、同じ年の日本人の米消費量は〇・九八一石です。 ここですでに〇・三石の開きがありますが、この開きは一九二〇年代以降急速に大きくなってゆきます。
 一九二〇年に 朝鮮人一人当り 〇・六二三 日本人 一・一一八  一九二二年 朝鮮人 〇・六五 日本人一・一〇二 一九二三年 朝鮮人 〇・六二八 日本人 一・一五六 一九二五年 朝鮮人 〇・五一九 日本人 一・一二八 一九二七年 朝鮮人〇・五二三 日本人 一・〇九五 一九三三年には実に朝鮮人 〇・四一二 日本人 一・〇九五にまでなってしまいます。 勿論その間に朝鮮米の日本への輸出は大幅に増えているのです。 大切なのはそれが米騒動をきっかけとして、作られた「朝鮮産米増殖計画」のなかで行なわれたという点です。
 即ち、日本資本主義の構造的矛盾を朝鮮人の犠牲によって補った点なのです。 日本人が三度三度米の飯を食べられるようになった背後で、朝鮮の人々は黒い粟を水でといで炊き、病人がいるときには、その真ん中に米の飯を僅かだけそっとのせて、炊きあがったその部分だけをより分けて食べさせていたのです。 そればかりではありません。じつに日本国内でも、山間僻地では戦争中の配給ではじめて米の飯を食べたという人すらたいへん多いのです。 解りやすく話をする為に米の例をあげましたが、米に限らず、一事が万事この調子だったのです。

p.145 2〜9行目
 もう一つの例を申し上げましょう。 さき程、米騒動について少し触れましたが、この米騒動は党の指導もなかった下層民の広範囲にわたる反対運動であったことは周知の通りですが、このあとで日本の労働運動が起って来たわけです。 けれどもその労働運動のなかでは朝鮮人の最初の反日本帝国主義運動である三・一運動(一九一九)大正八年や、同じ年の五月の中国の五・四運動。 こういうものとの連帯意識は全くみられない、ということを姜徳相という人が指摘しています。 むしろ連帯意識とは逆に、米騒動に参加した人たちも関東大震災のときには朝鮮人虐殺に積極的に参加するという事態が起ってきます。
 これは一体どういうことか。

p.146 3行目途中〜p.150 8行目
 私の伯父がその頃髪を長く伸ばしていた為、余じんの煙る街中であやうく隣町の人々に殺されかかった

p.146 5行目途中 〜 p.149 7行目
ご承知と思いますが、九月一日昼頃大地震があり、それが大火災に発展してゆくなかで、どこからともなく ( 勿論これはあとで説明しますが、決してどこからでもではなくて意識的に広められたデマでしたが ) 朝鮮人が水道に毒を入れた、とか朝鮮人が日本人を襲ってくる、とかいう噂がとびました。
 天災の恐怖におびえていた日本人は、仲間でグループを作って、怪しい人間を道でつかまえ、車から引きずりおろして殺してしまったのでした。 推定で六〇〇〇人の朝鮮人が殺されています。 天災という異常な事態の中で、おびえた東京市民がこのような行動に出たことにはいろいろな原因が作用していますが、もっとも直接的なのは九月二日午後六時に布かれた戒厳令です。 戒厳法によると戒厳令は臨戦状態乃至は暴動が起ったときに布くとあります。 ところが関東大震災では暴動は起ってはいません。 内務大臣の水野錬太郎は朝鮮人暴動の流言飛語が起ってきたので暴動を防ぐ為に布いた、といっていますが、翌三日には朝鮮人暴動はないとはっきりいい、警視庁もそういう布告を出しています。 それにも拘らず九月三日には神奈川県に戒厳令が布かれ、四日には千葉県と埼玉県にも布かれてゆく。 朝鮮人暴動が起りそうだからというので布かれた戒厳令が、当局者が暴動はない、といったあとで どんどん強化されていったわけです。
 そこで今度は朝鮮人暴動が起ったからではなく、朝鮮人がどんどん虐殺されているから、それを取り締まる為に戒厳令を布くのだ、というふうに戒厳令の口実が変ってきます。 こういうふうに事実を述べただけでも、戒厳令が本来朝鮮人の暴動を想定して布かれたものではないことは、はっきりしてきます。
 それでは一体何の目的で戒厳令を布いたのか、を考えなければならないわけです。 先にお話した米騒動が大正八年。 これは当時の支配者にとっては大変な衝撃だったうえに、一九二二年には日本共産党が創立されています。 また朝鮮の三・一運動も大きなショックだったことはいうまでもありません。 当時のデマのなかに、社会主義者が暴動を起すというデマがあったことからも、支配者層が日本の下層民の力をどれ程おそれていたかが解ります。それにも拘らず、大震災のときには警察力はマヒしてしまっていたのです。 神奈川県全部で巡査が一〇〇〇名行方不明になっていたありさまなのです。 避難民は集団となってあちこちに集まり、日比谷公園には五〇万、上野公園にも一〇万人が集まっていました。 今も昔も支配者は人民の集団というものには大変な恐怖を感じるものです。 当時の警視総監赤池濃という人は次のように書いています。
 「九月一日の夜、宮城前には避難の人続々として来たり、さすがに広き馬場先の街路も全く人をもって充満していた。 而して諸方では水はありませんか、と質問をかけられた。風態<風体 ?>を見るとハダシの人も多くて十分準備もなく避難してきた人が多いことが察せられた。 余は眼前、こういう光景に接して、この際は人心を安定せしむることが絶対の急務なりと感じた。 けだし、余の最も痛心おくあたわざるは、飢饉より生ずる悲鳴であり、失望より生ずる行動で会って、この非常事態に対して、尋常の手段ではこれを律しえない。 今や宮城に集れるのは無虚 <無辜 ?>三〇万である。これらの人々にして、食物を口せず、飢えを叫ぶとき、この大錯乱、大混乱のときにおいて、なにごとか勃発するかは予知しえない。今はただ大責任を負うて次の処理を敢行するの他はない」。 こういって赤池濃は、九月一日午後四時戒厳令を内務大臣に申しました。 こうして九月一日夜、近衛・第一師団が全部東京の陸軍省に集結する命令を受けています。

 デマの発生
  @ 自然発生説 朝鮮人がどこかでコソ泥をした為
  A 山口正寔という妙な政党をやっていた男が横浜の税関から品物をかっぱらって、その罪が問われると困るので朝鮮人がやったといった。
  B 官憲による陰謀説

 ところで朝鮮人暴動の公式の政府記録は、内務省警保局長の後藤文夫の名前で九月三日の午前六時に打っています。文面は
 「東京附近の震災を利用し、朝鮮人が各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し石油をそそぎ、放火するものあり。 すでに東京府下に一部戒厳令を施行したるが故に、各地において充分なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」

 朝鮮人暴動のデマが広がったのは 九月二日の 午前 一〇時頃です。 こうすると水野錬太郎や正力(松太郎、当時警視庁特高部長)がいっているようになってしまいますが、姜徳相氏はここにカラクリを見破っています。 当時の通信機器は全く途絶し、すべての通信は船橋の通信所にもって行かなければなりませんでした。電話なし。伝令が馬。 橋がこわれ……。
 九月三日早朝に打ったということは、もっと早く内務省で作られていなければなりません。

p.150 2〜8行目
 だから二日の朝四〜五時に<通信所の所員が>東京についたとき、本省ではすでに朝鮮人暴動が論議されていたことになります。 二日の早朝には実際は暴動なんか全く起っていません。 避難民は自分の生命を守るのにせいいっぱいで右往左往していました。 こういうときに政府が朝鮮人暴動をあげていることが大変重要です。
 九月二日の午前一〇時にはすでに東京へ東京へと地響きを立てて各地から軍隊がのり込んで来て、一一時には臨戦体制が確立している記録があります。 この臨戦体制の確立と朝鮮人暴動の流布とが時間的に一致しているのは偶然であるまい。

画像

『 阿部謹也 最初の授業・最後の授業―― 附・追悼の記録 』
2008年9月4日 第1版第1刷
編集 阿部謹也追悼集刊行の会
発行 日本エディタースクール出版部

http://4472752.at.webry.info/201309/article_9.html
2013/09/05 12:37
リパッティによるバッハそして歴史学者阿部謹也さん


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