銅のはしご

アクセスカウンタ

zoom RSS 「国民統合の象徴」という曖昧な概念を考え続けてきたのが,実は天皇その人だった

<<   作成日時 : 2016/08/09 17:54   >>

トラックバック 0 / コメント 0

§ 8月9日
 朝から尋常な暑さではない。
 午前11時02分 長崎に思いを馳せる。

画像


§§ 「国民統合の象徴」という曖昧な概念を考え続けてきたのが,実は天皇その人だった

 昨日8日には,天皇のヴィディオ・メッセージが放送された。
 天皇は「象徴」について深く考え続けてきた「個人」であることが,率直に言葉に表現されていて,それだけでも「譲位」することの正当性が納得できる形であったと,私は思う。
 手短に言えば「譲位」について天皇個人の意思を慮ることを優先し,法の整備やこれからの天皇家のあり方をおおよその肯定的な方向性で整えることができることが,もっとも望ましいのではないかと,私自身は考えている。

 基本的人権と言いつつ,一部とは言え人権を制限されている天皇と天皇家自体の存在を,とくに出版業界がいわばタブー視してきたことに,私は疑問を持っている。また,法学的にも「国民統合の象徴」という内容について曖昧なまま済ませてきたのではないのか。
 そして,日本でもっとも「国民統合の象徴」としての天皇について考え続けていたのは,天皇自身そして皇后や皇太子,皇太子妃だったろう。

 昨夜のsession22ではさっそく,天皇の気持ちと言葉で「法改正」を始めることは憲法違反になるのでは,というような掘り下げ方をしていたが,そもそもこれまで「国民統合の象徴」とは何かと本気で考えてきた知識人たちが日本にどれだけいるというのか。

 また,「象徴天皇」の務めを果たすことで制度としての天皇制の持続を「念じ」ているとする最後の部分に至るところまでにあった「天皇の終焉」という言葉にも多くのメディアやコメンテーターなどが反応していたが,「終焉」という言葉には,むしろ制度としての天皇制の持続の意思をむしろ私は強く感じた。
 この「天皇の終焉」という言葉を私が初めて見たのは,昭和天皇が亡くなったあと1990年の吉本隆明と赤坂憲雄の対談 『 天皇制の基層 』
(※)の中で。

◇ 宮内庁
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば


(※)農耕社会の終焉とともに天皇制は形骸化していくというイメージ

吉本隆明 赤坂憲雄 『 天皇制の基層 』
作品社
 一九九〇年九月三〇日 第一刷
当時の定価 1,500円(本体1,456円+税3% 44円

p.185〜236
V 大嘗祭の本質と天皇制の深層

p.231〜236
農業社会が少数化していき形骸化していくにつれて、天皇制も形骸化していくだろう。 法的あるいは社会的な慣例として形骸が残ることはあるかもしれないけれど、天皇制の本質は壊れていくだろう。

p.231 6行目 〜 p.232 4行目
吉本 僕は農耕社会が少数化し形骸化していくにつれて、天皇制も形骸化していくだろうと思っているわけです。それはいままでの話の続きでいえば、天皇の相続儀礼である大嘗祭の本質が、農耕社会的なものを自分に身につけるという見方からも当然出てくるわけです。その本質がゆるんできたり、解体してくれば、形骸しかのこらないだろうということです。法的あるいは社会的な慣例として形骸がのこることはあるかもしれないけれども、本質はもう壊れていくだろう、というふうに僕は思っています。たとえば現在では、「国民統合の象徴」ということになっていますが、国民統合という言葉でいいあらわせるものがなくなって、消えていくだろうなって思っています。

p.232 11行目 途中〜15行目
吉本 僕は形骸化したついでに終焉してもいいし、形骸化した現在のままであってもいいし、それから現在の憲法の「国民統合の象徴」という言葉だけがあって、ただ存在しているだけでもいいわけです。もし憲法の規定の国民統合の象徴が問題になってくるなら、やっぱりこれはないほうがよりいいんだって思います。大多数の民衆があったほうがいいていうのなら、そのまま存続してもいい。

p.234 5行目 〜 p.235  16行目
赤坂 つまり、象徴天皇制の像を組み立てるときに国家や宗教との結びつきを否定せざるを得なかったのは、これまで千数百年にわたって継続されてきた天皇制の歴史が終わったということを思想的に掬(すく)いとって、なおかつ天皇制、皇室を生かしていこうとするならば文化や伝統とか精神的な権威というところに最後の天皇の場所を求めてゆくことしかできなかったんだろうということです。そういう意味で象徴天皇制というのは、これまでのシステムとしての天皇制を中核に置いた天皇制の歴史が幕を閉じ、形骸化の段階に入って現れた最後のイデオロギーだっていうふうに僕は理解するんです。
 それがどういうふうに縮小して消えていくかってことを考えるとすると、一番の問題は、にもかかわらず天皇制は宗教的な構造を核として更新されてきたんだということです。大嘗祭に象徴されるような宗教としての天皇制の構造がどういうふうに生き延びる可能性があるかと考えると、すでに天皇のもっている宗教的かつ儀礼的な構造を支えてきた物質的な基盤はほとんど壊れています。それは吉本さんがおっしゃられている、農耕社会の終焉とともに天皇制は形骸化していくんだというイメージと重なってくると思うんですが、農耕祭儀としての大嘗祭というところに天皇制の宗教的な構造の核を見定めるかぎり、もう未来はない、物質的な基盤を失ってどんどん縮退してゆかざるをえないでしょう。もはや文化的な伝統とか精神的な権威としてしか、将来のイメージを収斂させていけないところに来ていると思うんです。しかも、津田左右吉さんがいうような天皇制の精神的な権威といったものには、じつのところはじめから物質的な基盤というものは存在しないということです。たいへん抽象的かつ観念的な、伝統として培われてきたんだという言説のなかにしか存在しないのです。
 つまり天皇制の宗教的な構造を支えてきた儀礼的な、物質的な基盤があったわけですが、それはどんどん抽象化して解体しつつあると思うんです。その抽象化が昭和天皇の死を経て、もはや古い天皇制には戻ることができない場所にきているし、儀礼的な基盤がさらに加速度的に壊れてゆくにつれて、天皇制は形骸化してゆかざるをえないでしょう。何が残るかといったら、最初のところで僕はこれを自分の視野の外において語りましたけど、やっぱり民衆の側の習俗として、あるいは宗教的な基礎感情としてかろうじて残っていくだろうなって気がするんです。その残り方っていうのは、たとえば制度としての被差別部落はもう終わっているにもかかわらず、習俗というか、宗教的な基礎感情としての差別というものがまだ残っているのと見合うようなかたちで、天皇にたいするある種の敬愛とか共感というものが部分的に残っていく、それがやがて収束して消えてゆくだろうという感じですね。
 <以下 略>
画像


ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 政治ブログ 議員応援・議員批判へ
にほんブログ村 政治ブログへ
お読みいただきありがとうございます

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
「国民統合の象徴」という曖昧な概念を考え続けてきたのが,実は天皇その人だった 銅のはしご/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる