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zoom RSS 「戦争でも、敗戦でも、平和でも、支配者は決して傷つかず、被害をうけるのは下層大衆だけ」吉本隆明

<<   作成日時 : 2016/08/15 02:06   >>

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§ 21世紀の今,日本の「民主主義」は極右・安倍政権と「戦争」をいつまで容認するのか
 イラク,アフガニスタン,シリア,ロシア,中国,インド,南スーダン...私など行ったこともない世界の場所,とりわけ中東で,アフリカで,戦争が続く。
 今現在,アメリカの特殊部隊は,世界のおそらく100か国以上に展開しているはずだ。
 この,日本にいては見えにくい戦争の時代を止めようともしない政権与党を,なぜ主権者・国民の多くが許しているのか


 吉本隆明
 「わたしたちの少年期から青年期の前半にかけた時期は、天皇制下における右翼と軍事ファシズムの抬頭と戦争に終始している。」

 この文章に倣えば,わたしたちの21世紀は,安倍政権下における極右とネオ・リベラリズムの抬頭と「戦争」に終始している。
 しかもそれは,主権者たる国民による「民主主義」に基づいてさえいる。日本の「民主主義」は,いったいいつまで極右・安倍政権と「戦争」を容認するつもりなのか。
 東京都にあっても,そうだ。小池・都知事より,舛添・前都知事のほうがまだマシだったのではないのか。

§§ 昭和天皇の降伏宣言「1945年8月15日」 
 戦争つまり日本では第2次世界大戦を体験した世代が少なくなっているので,被害の甚大に軸足が置かれた戦争の悲惨を語り継ごうという「善意」のような気分がこの時期には溢れる。
 果たして,アジアに対する加害の謝罪は薄められ,おそらく日本中を覆っていただろう「モラル」の崩壊に対する自責は少ない。

 1952年頃までの報道では,9月2日ポツダム宣言受諾調印(受諾は8月14日)の日を敗戦記念日としていたという。
 終戦の日とされている8月15日は,昭和天皇が「玉音放送」により降伏が宣言された日であり,こうした「記念日」のダブル・スタンダードに私がおもうのは,敗戦してなお手前味噌の「史観」を,今なお天皇制が支えているという事実だ。
 私自身は,憲法第1条はそうとう危険な文章ではないのかと,考えてはいる。
 「主権者の存する国民の総意に基く」というとき,なぜ「総意」なのか。また「総意」であるとすれば,天皇制は「王権」ではなく文化ではないのか。そして,「人間宣言」をした天皇なのであれば,なにゆえに人権を規制されなければならないのか。多くの矛盾を考える。

§§§ 「 日本軍や戦争権力が、アジアで「乱殺と麻薬攻勢」をやったことが、東京裁判で暴露された 」 吉本隆明
 青春期のほとんどを戦争の時代の中に生きた吉本隆明は,「9条・堅持」を生涯を通じて強く主張することになる。
 以下に引用する1970年発行の単行本は,巻末によれば,初稿が雑誌に掲載されたのは 1957(昭和32)年。


吉本 隆明 『 高村光太郎 増補決定版 』
春秋社
 昭和四五年八月一五日 第一刷

高村光太郎 p.3〜162

敗戦期 p.117〜140

p.119 8〜15行目

 戦争に敗けたら、アジアの植民地は解放されないという天皇制ファシズムのスローガンを、私なりに信じていた。また、戦争犠牲者の死は、無意味になるとかんがえた。だから、戦後、人間の生命は、私がそのころ考えていたよりも遙かに大切なものらしいと実感したときと、日本軍や戦争権力が、アジアで「乱殺と麻薬攻勢」をやったことが、東京裁判で暴露されたときは、ほとんど青春前期をささえた戦争のモラルには、ひとつも取柄がないという衝撃をうけた。敗戦は、突然であった。都市は爆撃で灰燼にちかくなり、戦況は敗北につぐ敗北で勝利におわるという幻影はとうに消えていたが、わたしは、一度も敗北感をもたなかったから、降伏宣言は、何の精神的準備もなしに突然やってきたのである。

§§§ 「 戦争でも、敗戦でも、平和になっても、支配者は決して傷つかず、被害をうけるのは下層大衆だけではないか 」 吉本隆明

p.122 1行目〜 p.123 5行目
 わたしは、絶望や汚辱や悔恨や憤怒がいりまじった気持で、孤独感はやりきれないほどであった。 降伏を肯んじない一群の軍人と青年たちが、反乱をたくらんでいる風評は、わたしの心に救いだった。すでに、思い上った祖国のためにという観念や責任感は、突然ひきはずされて自嘲に変わっていたが、敗戦、降伏、という現実にどうしてもついてゆけなかったので、できるなら生きていたくないとおもった。こういう内部の思いは、虚脱した惰性的な日常生活にかえっていたから、口に出せば ちぐはぐになってしまうものであった。こころは異常なことを異常におもいつめたが、現実には虚脱した笑いさえ蘇った日常になっていたのである。わたしは、降伏を決定した戦争権力と、戦争を傍観し、戦争の過酷さから逃亡していながら、さっそく平和を謳歌しはじめた小インテリゲンチャ層を憎悪したことを、いっておかねばならない。 もっとも戦争に貢献し、もっとも大きな犠牲を支払い、同時に、もっとも凶暴性を発揮していき過ぎ、そして結局ほうり出されたのは下層大衆ではないか。私が傷つき、私が共鳴したのも これらの層のほかには なかった。支配層は、無傷のまま降伏して生き残ろうとしている、そのことは許せないとおもった。戦後、このときのわたしの考えが、初期段階のファシズムの観念に類似したものであることを知った。降伏という事態によって、いままで社会には貧富の差があり 不合理だというところから 富者に嫌悪感をもっていた わたしは、やはり、漠然とではあるが、社会には支配者と被支配者があり、戦争でも、敗戦でも、平和になっても、支配者は決して傷つかず、被害をうけるのは 下層大衆だけではないか、とはじめて かんがえはじめた。わたしは、出来ごとの如何によっては、異常な事態に投ずるつもりであったことを、忘れることができない。
 わたしたちの少年期から青年期の前半にかけた時期は、天皇制下における右翼と軍事ファシズムの抬頭と戦争に終始している。試みに年譜をとってみる。
  昭和 七年 上海事変 血盟団事件
          五・一五事件 (8歳)
  昭和 八年 神兵隊事件  (9歳)
  昭和十一年 二・二六事件 (12歳)
  昭和十二年 中日戦争(支那事変) (13歳)
  昭和十三年 近衛、東亜新秩序宣言 (14歳)
  昭和十五年 新体制運動  (16歳)
  昭和十六年 太平洋戦争  (17歳)
  昭和二十年 敗戦   (21歳)

§§§§ 2016年08月14日 ハイビスカス ⒸReina
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