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zoom RSS 高校生「政治活動」届け出制に見る主権の剥奪/トッドのピケティ分析

<<   作成日時 : 2016/02/01 16:05   >>

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§ 高校生「政治活動」届け出制に見る主権の剥奪
 伝家の宝刀ならぬ,いつもどおりの有無を言わせぬ 〈日本的同調圧力〉 の権化としての「学業に支障がない」 やら 「教育現場における政治的中立性」やらという言い回しで,選挙権年齢の18歳に引き下げに伴う「政治活動」の一部容認は伝えられる。1月29日(金)に一斉に報道されたが,日本社会の高齢化によるせいか大きな疑義の論調は見られない。
 そもそも,1969年以来禁止されていたことに疑問が言われることもほとんどなかった。
 これでは,もっとも多感で鋭敏な年代の青年(法的には少年)層が,自立した思考の方法を手に入れることは,あいかわらず遠のくばかりだろう。
 校則で「政治活動」を制限したり届け出させたりすることが,なぜ「主権者教育に役立つ」のかは説明されない。
 要は,学校現場で「学校」や職員室が責任回避できる仕組みを盤石にするためだけに,息の詰まるような校則(違法を疑えるものさえある)であるとか制度であるとかで,がんじがらめの日本社会なのだ。

§§ 昨年10月沖縄県男児「いじめ自殺」
 学校の問題についての意見・評論というのは,実はメチャクチャなものが多過ぎる。自分の経験が貧弱な内容だろとなんだろうと,ほとんどすべての日本人はすぐ“ 勝手知ったる他人の我が家 ”として教育を語ることが多い。それは,幸か不幸か,ほとんどすべての日本人が学校を通過してきているからだ。
 自分の経験したこと,得意なこと,知っていること,これらのことについてむしろ自省的であることが,表現の自由,討論の自由を失わせない方法でもある。だから学校をとりあえず通過した児童・生徒にくらべると,すぐれて教育や学業の本質を考え言いあてるのはむしろ不登校児童,生徒たちのことが多い。
 もう15年以上前のことではあるけれど,友だちのJ君のいた学校で 「何のために高校に行くのか」の問いに「念のために」と マジ言われていたときには,その学校で深刻ないじめは起きにくかったと言うし“いじめ自殺”は起きなかった。その後,工業科や美術科を廃止して普通科だけの進学校としていわゆる偏差値を上げるに伴い,最悪の“いじめ自殺”が伝えられることになる。
 無責任な立場からの発言という批判を受けても言うしかない。学校がつらかったら,行くなよ,子どもたち。
 29日の馳文科大臣の会見は,酷いものだった。近日中にテキスト版は出てくるだろうが,吐き気を催すような官僚的答弁に徹していた。いわく

「 重大事故,重大事件が学校で起きた場合 」 「 事実関係の調査 」「 正しい情報の共有 」 「 教育委員会は都道府県にもある 」「 学校の安全管理義務を果たす重要なプロセス 」「 教育委員会の指導の下,校長は管理責任を負う」…

文科省
http://www.mext.go.jp/
http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1366536.htm
馳浩文部科学大臣の定例記者会見映像版
平成28年1月29日(金)

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◇ 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ1Y55J0J1YUTIL03P.html
高校生のデモや集会、学校への届け出制認める 文科省
高浜行人 2016年1月30日05時04分


§§§ 表現の自由,討論の自由 E.トッド
 エマニュエル・トッド 『 シャルリとは誰か?』 堀茂樹(訳)は,電車の中で読んだりするにはちょっと難しいかな,みたいな感想が伝わってくる。
 そんなことはない。
 まず初めにある「日本の読者へ」p.1〜10 「外国語版の読者へ」p.11〜14 と,最後にある「日本の読者へ――パリ I Sテロ事件を受けて」p.300〜307 を読む。そうすると研究者じゃない私なら,中身のフランスの地図の理解はだいたいで済ませて,人口学と地理学と歴史学の見地からのフランス社会の崩壊のプロセスを読み取ることができる。


p.306 10〜11行目
『 シャルリとは誰か?』を発表したことで六カ月にわたって多くの侮辱を受けた私はついに、表現の自由、そしてとりわけ討論の自由が、現時点においては、フランスでもはや本当には保障されていないと認めるに到ったのです。

 あの「私はシャルリ・デモ」はまるで「表現の自由を守る正義のデモ」であるかのようにマスメディアで喧伝されていた。
 まったくもって“非戦闘的な無神論者”である日本人の私からすると,イスラム自体に対する排斥の感情は理解しにくいものだった。けれど実は政策決定までをも含めた深刻な言論弾圧に至るフランス社会の崩壊過程,また「デモクラシーがフランスでは機能していません」というトッドの危機感は,今日本にあるさまざまな問題を照らし出すためのサーチライトでもある。
 日本における社会的な不平等は,宗教的価値観によるものではない。それにもかかわらず,経済状態の不平等とそれを固定化する「格差」という言葉を平気で使い続ける日本にとって,トッドの言う意味での表現の自由,討論の自由を確保する努力が重要なのだと私はふたたび確認している。


p.108
ネオ共和主義
 問題のデモはフランス社会の階層構造の上半分と、ポスト・カトリシズムに特徴づけられる周縁部分を主な土台としていた。 <中略>
 かくしてわれわれは、デモが続いていた間、なぜ共和国のスローガンの二つ目の言葉「平等」を耳にすることがあんなに少なかったのかを理解する。
 あらゆる混同を避けるために、わたしは今後「ネオ共和主義」という用語でもって、いま出現してきているドクトリン、すなわち共和国とライシテ〔世俗性〕への執着を熱狂的に主張するにもかかわらず、共和国の確立に対して従来最も強硬に抵抗してきたカトリシズムの諸地域がその最も堅固な地盤になっているドクトリンを指すことにする。

§§§ E.トッドが T.ピケティを分析した部分
 私はけっきょくピケティの『 21世紀の資本』 を買わなかった。NHK Eテレを見てノートを作ったので,もう読まないでいいことにしようと怠惰を決め込んだ。
 そのノートを作りながら,私はフランス中産階級の気分のようなものに対して,何となしの違和感をずっと感じていた。
 ところが,あっさりエマニュエル・トッドがそれを分析していた部分があった。


p.124 10行目〜
それにもかかわらず、シャルリの出現は、中産階級の上位部分にあたる「一九%」を重心とする社会的・イデオロギー的システムの自閉的傾向が強まっていることを思わせる。ピケティ自身にしても、彼が科学者であることを一時的にやめるときには、たとえば 『 21世紀の資本 』 の第W部では、一人のオーソドックスなヨーロッパ主義者、真正のネオ共和主義者であることがわかる。所得ピラミッド最上位の一%に対して批判的ヴィジョンを抱いても、そのヴィジョンによって彼は、下位五〇%の味方をするようには導かれていない。この意味においても、彼は今日のフランス社会が生み出した経済学者だ。

Emmanuel TODD エマニュエル・トッド
QUI EST CHARLIE ? シャルリとは誰か?
Sociologie D’une crise religiuese 宗教的危機の社会学
『シャルリとは誰か?人種差別と没落する西欧』
堀 茂樹(訳)
文春新書2016年(平成28年)1月20日 第1刷
定価(本体920円+税8% 74円)994円
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