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zoom RSS 東京地裁・菅元総理の請求棄却,即時抗告

<<   作成日時 : 2015/12/04 17:44   >>

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§ 嘘吐きの安倍総理は「当時野党だった」とさ

 安倍総理に対して菅直人・元総理が「名誉棄損」を求めた裁判は,不法行為を認めず棄却,即時抗告と報道される。朝日新聞によると


 永谷典雄裁判長は、「記事は重要な部分で真実だった」と認め

 朝にラジオのニュースで聞いたのは
 当時野党だった安倍議員が総理大臣を批判して当然であり

 民事裁判とは言え現職の総理に対して不法認定するほど日本の裁判所にガッツがあるとは思えないしねえと,当初から私はぼんやりとは感想を持っていた。全文を読んでいないので想像するにとどまるが,それにしても,どうもならん判決文ではあるのだろうなと思う。

http://www.asahi.com/articles/ASHD345PGHD3UTIL012.html
安倍首相メルマガ訴訟、菅元首相の請求棄却 東京地裁 2015年12月3日13時47分
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§§ ロックなイントロ・吉本隆明

 圧倒的にスリリングなイントロに参っちまうという経験は,ロックやポップスを聴くときによくある。
 文章を読むとき,この興奮に似た感覚をはじめにおぼえることもある。映画のイントロは,逆に静かな導入が多い...それほど多く鑑賞しているわけではないので,あてにならない勝手な印象。


 青年はいつも奇怪な観念で頭脳をいっぱいに充たしている。

 旬の物書きのエネルギーに満ち溢れているこのイントロを読む。そう,吉本隆明 『 悲劇の解読 』 所収 「 小林秀雄 」(原題〈解説〉) 近代日本文学大系29 『 小林秀雄集 』 一九七七年一月三十日。 このはじめの文章。
 ちくま文庫版は,ちょうど30年前の12月4日に第1刷が出版されている。
 続けて収められているのは「『本居宣長」を読む」( 原題 文化的な自意識のドラマ )「 週刊読書人 」 一九七八年一月二・九日。
 吉本の対談も含めた著作集は,いつかぜひウェブで全部読めるようになればいいなと思う。索引がわりの短文検索が便利になるだろうから。
 なんだかわかりにくいタイトルがつけられていることも多くて,戦後日本の文芸一般についての膨大な言及もあるので,ふと思い出して資料として読みなおしたくても,私のような鴑才では,読んだけれど,いったいどの本だったか覚えきれていない。あげく亡親の蔵書といっしょにクローゼットにしまい込んだりした日には,しかたなく同じのを買う破目になったりもする

画像

吉本隆明 『 悲劇の解読 』
ちくま文庫 1985年12月4日 第一刷 古書店で入手

小林秀雄 p.53〜110
p.101 2行目〜p.102 2行目

 この現実の世界にはどんな誤謬の理念であれ、当の理念を論理的にたどったり疑ったりするよりも、それを振りまわす宿命を背負わされた人間がありうるという認識が、小林秀雄にはなかった。そういう世界を想像もできないし、しなくても済むことは、小林秀雄の先験的な安堵感を作っていた。論理や理念を振りまわす者にとって、唯一の可能な行き方は、果てまで振りまわして卒倒してみせることである。誤謬の理念も、けっして自体でみずからの誤謬を解き明かすことはありえない。誤謬ははじめにあり、軌道にいったん上るかぎり崩壊まで上りつづけるほかない。これは「批評が即ち自己証明になる、その逆もまた真」(「中野重治君へ」)という場所からはどうしても理解しがたいところである。理念の誤謬を判るためには、じぶんも論理的・理念的な次元へ移ってゆかなければならない。だがそんなものは相手もそれほど持ち合わせていなかったし、小林秀雄の方もそんなものはとうに諦めたところで、自分の批評を出発させたのだ。つまりほんとうは論理や理念が人間を動かす怖ろしさをわかってはいなかった。狂気は意識上の錯乱や幻覚をもたらすが、逆に自意識上の錯乱をどこまで追いつめても狂気にはいたらない。むしろ追いつめるほど狂気から遠ざかるだけである。そもそも追いつめるという能力は正気に属するからである。一方、正気の人間は論理や理念を生み出すかもしれないが、論理や理念を追いつめるとついには狂気にいたることができる。論理や理念はなにかしら人間を肉感にとどまらず肉体そのものまで抽象化してしまう要素があるからだ。意識は個体を離れては存在しえないが、論理や理念は個体を離れてどこまでもゆけるように人間を錯覚させる。それが普遍性の魔ともいうべきものである。そうして人間は観念が肉体になるような倒錯のうちに普遍性に参加する。言葉には本来そういう魔性がひそんでいる。そしてこの魔性は言葉が感覚とその映像をめぐっているかぎり、さして気づかれないのに、いったん理念にまで凝固した言葉はこの問題を露出する。

p.349 文庫版のためのあとがき
 (1979年12月10日 筑摩書房より刊行されたものに)時間をかけながらとき折り、これらの批評文を眺めては、すこしずつ手を加えたり、文章を刈り込んだり、補修したりしてきた。

◇ 参考
筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/special/bunko30th/
ちくま文庫 30周年

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