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zoom RSS 国立大学に国旗・国歌の「要請」? ふざけてるのか

<<   作成日時 : 2015/04/11 02:04   >>

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ねこくりつだいがく みんな にゃかよく
ねこっき けいよう
ねこっか うたうんだにゃ

 国立大学に国旗・国歌の「要請」? ふざけてるのかと思った。
 学問の自由にも大学の自治にも国家が踏み込むのは ふざけた話しだろという,程度の高い話しじゃないんだね。

 朝日新聞によると
安倍総理  国旗掲揚・国歌斉唱について,正しく実施されるべきではないか
下村文科相  各大学に要請する。強要ではない


 税金でまかなわれていると言うなら,安倍内閣こそ,憲法に抵触する集団的自衛権・行使容認の閣議決定も,沖縄・辺野古基地建設の強行をも,問われるべきだ。
 下記にメモする阿部謹也『大学論』から抜粋した部分の初出は1998年。 橋本龍太郎,小渕恵三内閣の頃からすでに 国立大学に対しての政権や財界からの「締め付け」があったのだと分かる。

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阿部 謹也 『 大学論 』
日本エディタースクール
1999年6月26日 第2刷


p.131〜192
V 大学の改革 
p.137 11行目〜14行目
 戦前の大学においては国家からの主体性が重視されていた。ドイツの大学においてそれぞれの体制下で大学の自治が問題とされたのも、基本的には国家からの研究と教育の自由が問題だったのである。
p.139 1行目
現在の大学は一体何に対して、あるいは何からの主体性を主張しなければならないのだろうか。ひとつには国家に対して大学が主体性を持たなければならないことは明らかである。
p.139 13行目〜p.140 3行目
 現在、わが国は政治家も財界人もふくめて混迷の中にある。そのような状況の中で社会における義が失われようとしている。何が正しく、何が間違っているのか判断が困難になり、すべてが流動化しているように見える。いわば俗の論理が社会を支配し、教育界をも支配しようとしている。将来のわが国のあり方を考える中で教育のあり方を考えなければならないのに、財政負担を軽減させるという目的のためだけに高等教育を切り捨てようとしている。それは社会が俗の論理に支配され、それ以外の道筋を見失っているためである。このような状況の中で、大学は社会に義を再生させるために努力しなければならないだろう。その義とはかつてのヨーロッパにおけるキリスト教を主体とした絶対的真理としての義ではなく、わが国の世俗社会の中における義である。

阿部 謹也 歴史学
1935(昭和10)年2月19日(火)―2006(平成18)年9月4日(月)


◇ 参考
朝日DIGITAL 2015年4月9日20時14分
http://www.asahi.com/articles/ASH495SF4H49UTIL02V.html
国立大に国旗掲揚・国歌斉唱要請へ 首相答弁受け文科相
高浜行人、石山英明

文科省 資料
http://blogos.com/article/109865/
http://jisedai.jp/cp-bin/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/20150410160301.pdf
国立大学(86大学)における卒業式・入学式の国旗の掲揚及び国家の斉唱状況

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